ロンドン塔は今から900年前、フランスのノルマンジーから来たウイリアム征服王が、ロンドン市を守る要塞として、また自分が住む宮殿として建てました。ローマ時代から1000年の歴史があり、貿易港として栄えていたロンドン市とは戦うよりも条件付で仲良くした方が得だと考えたウイリアムは、シティーを守るというたてまえで、実際にはここに要塞を造りプレッシャーをかけていたのです。

石造りの大きな塔が築かれ、ロンドン塔と名づけられました。そこは現在ホワイト・タワーとして知られています。その後何人かの王によって拡張工事が行われました。君主にとって砦や住居であるばかりでなく、宝物、兵器、囚人を収容する場所でもありました。

13世紀の王ヘンリー3世は立派な宮殿を新設したり、動物園を設けたりしました。そこにはフランスから贈られた象、神聖ローマ帝国から贈られた豹、ノルウェーから贈られた白熊などが飼われていました。19世紀にロンドン動物園ができるまで、ここではライオンなどの動物が飼われていました。

ロンドン塔内には王の宝物を収める宝物殿、公文書をしまう保管所、金貨や銀貨を鋳造する造幣所、王の軍隊のための兵器庫といった施設がありました。

中世にはロンドン塔は囚人を収容する牢獄ともなっており、王の敵とみなされた貴族たちや、戦いで捕らえられた外国の王が囚われていました。16世紀のヘンリー8世の時代に最も牢獄として使われ、次第に王宮としての役割を失っていきました。17世紀のチャールズ2世は英国王の権力を一般人に印象付けるため、即位の宝物類や歴史的な武具や甲冑を一般公開しました。

現在、ロンドン塔は年間200万人の観光客が訪れる、ロンドンの名所になっています。

「反逆者の門」と呼ばれる水門は14世紀に造られました。ロンドン塔に住んでいる人たちに食料は燃料を供給するための水門として使われていました。しかし16世紀、ヘンリー8世王の時代になりますと、国事犯のほとんどが舟で運ばれ、この門からロンドン塔に投獄されるようになりました。このころから反逆者の門と呼ばれるようになりました。

昔は今の国会議事堂にあるウエストミンスター・ホールで、ほとんどの裁判が行われ、囚人たちは舟でロンドン塔に運ばれて来ました。囚人といっても、ほとんどが身分が高い反逆者、つまり王様に逆らった人たちで、ヘンリー8世の2人の王妃もその中にいました。また、そのあとの時代には姉のメアリ1世が妹のエリザベス1世を幽閉しています。

ホワイト・タワーは西暦1078年から1097年にかけて造られました。高さ27.4mで、壁の厚さは基部で4.6m上部で3.3mと非常に厚く造れれています。建物のほとんどはロンドンの南東にあるメイデンストーン付近で切り出される石灰石で造られていますが、窓枠と建物の角の部分の石はフランスのノルマンディーで産出されるカーン石を使っています。美的効果と風化防止のため、壁には的に石炭塗料が塗られたため、ホワイトタワーと呼ばれています。

王宮と要塞を兼ねた城という目的で建てられ、2階と3階は国王の部屋、1階部分は守護隊を指揮する武官長の住居でした。また、地階には食物貯蔵室と井戸がありました。正面玄関は900年前のままで、簡単に進入できないように高いところに造られており、非常時には梯子は取り外されました。

建物の四隅には小塔があります。3つは四角形ですが、北東にある小塔は内部に螺旋階段があるため円形です。17世紀にグリニッチ天文台ができる前の数ヶ月、天体観測者のフレムスティードがここで天体観測をしていました。ノルマン時代の塔には円錐形の屋根がついていましたが、16世紀の初めドーム形の屋根になりました。1715年に窓は拡大されましたが、オリジナルのノルマン時代の窓は正面玄関の上の最上階に2組だけ残されています。

ホワイト・タワーの中には聖ジョン礼拝堂があり、ノルマン教会建築の代表で、ロンドンに残っている一番古い建物になります。ノルマンディーから運んできたカーン石で建てられており、王の礼拝堂として使われていたころは壁画が描かれ、窓にはステンドグラスがはめられていましたが、現在は何の装飾もなく素朴な美しさがあります。

タワー・グリーンでは毎朝11時には衛兵が交代式を行なっています。衛兵が守っているということは、ここはまだ王室の宮殿としての役割を持っているということを意味しています。

木骨造りの家は16世紀に建てられたものでクイーンズ・ハウスと呼ばれ、現在し守備隊司令官の宿舎になっています。昔、ここには武官長副官が住んでおり、副官による直接の監視下、身分の高い囚人が数多く収容されました。16世紀のヘンリー8世の2番目と、5番目の妻も、ここに投獄されました。1605年の国会開会日に議事堂を国王もろとも爆破してしまおうとした火薬陰謀事件(結局失敗します)に参加したガイ・フォークスは、このクイーンズ・ハウスで取調べを受け、拷問を受けました。囚人の中には処刑の前の日にまんまと脱走した人もいます。スコットランドのニッダ−ル伯で、1715年に反乱に加わって死刑宣告を受けていましたが、妻が密かに持ちこんだ女性の衣装を着て脱出しました。この人は身長180cmで顔には髭があり、どうやって監視員が見逃したのか不思議です。このクイーンズ・ハウスに収容された最後の囚人はナチス・ドイツのルドルフ・へス副総統で1941年に拘禁されました。

ロンドン塔というのは今でも小さな村を作っています。ヨーメン・ウォーダ−は外壁沿いに住んでいて、兵隊は宝物館の上にいます。ビーチャム・タワーの隣にはお医者さんが住んでおり、教会には神父さんがいます。教会は日曜ごとに礼拝が行われており、洗礼式や結婚式も行われています。教会は昔ロンドン塔内やタワー・ヒルで処刑された人たちの首なし死体の埋葬場所でもあります。  昔、楽しみがあまりない時代は、公開処刑というのはエンタテイメントでした。処刑がある日には、たくさんの人が仕事を休んで見学に来ました。ロンドン塔の囚人の処刑も、ほとんどがタワー・ヒルというロンドン塔の外側で執行されています。しかし、特に身分が高かった7人は、ロンドン塔内で密かに処刑されました。

7人のうち5人が女性で、そのうち2人はヘンリー8世の后でした。2番目の妻アン・ブーリンは男の子を産まなかったということで処刑されています。当時の処刑は斧を使って行われましたが、斧は切れにくく、一回では死ねなかったりしたので、アンは特別に良く切れる剣で首を切ってくださいと王にお願いしました。良く切れる剣が英国にはなかったので、フランスからわざわざ剣と剣使いを招いて首を切ってもらったといわれています。アンはかなり現世に未練があったらしく、夜になるとアンの幽霊が切られた首を持って、タワー・グリーンをさまよっているそうです。

 5番目の妻キャサリン・はワードは姦通罪として処刑されますが、死ぬ前に「王妃としてではなくトーマス・カルペッパー(浮気の相手ですでに処刑済み)の妻として死にます」と言い切って亡くなっています。また、彼女の浮気を手伝ったロッチフォード伯夫人のジェ−ンもキャサリンと同じ日に同じ場所で処刑されています。

ヘンリーの娘メアリ1世の時代には、カトリックのメアリを戴冠させたくないプロテスタントの人々が、メアリの従姉妹のジェ−ン・グレイを女王にしようとしますが失敗します。ジェ−ンは16歳の若さで処刑されてしまいます。ナショナル・ギャラリーに19世紀の画家ドラクロアによって描かれた処刑の絵があります。

現在約40人のヨーメン・ウォーターがおりますが、いずれも22年以上の軍務歴を誇る陸海空軍の退役准尉が推薦されてなります。一般にビーフイーターと呼ばれていますが、牛肉を食べて栄養満点だったからだとか、毒見係として王様の肉を食べたからだとか言われています。家族と一緒にロンドン塔内に住んでいます。

昔から、門の管理と、囚人の管理は国王自ら任命する守衛隊がやっており、ヘンリー8世時代から君主付の護衛兵と同じように近衛兵に数えられており、制服を身につけることを許されました。普段は紺色のヴィクトリア時代のデザインの服を着ていますが、行事があるとチューダー時代の赤字に金色刺繍の服を着ます。胸にはE&Rと書かれておりRegina Elizabeth(エリザべス女王のラテン語)の意味です。

反逆者の門ができる前は、ブラディー・タワーの門塔が水門を管理していました。門には、敵の上に熱い油を落としたマーダーホールや、現在でも使用可能な落とし格子があります。

この建物は14世紀に造られ、高級宿泊施設として使われ、賓客用寝室もあったようです。かつては、隣接して庭があったので、ガーデン・タワーと呼ばれていましたが、15世紀にエドワード5世が殺害されてから、血なまぐさい塔と呼ばれるようになりました。

現在サー・ウォルター・ロリーが17世紀に13年間幽閉生活を送った当時と同じように家具を配置してあります。彼は、英国にタバコとジャガイモを持ってきた人です。ジェームス1世の囚人として幽閉されたのですが、驚くことには奥さんや子供と暮らすことや召使をもつことが許されており、幽閉中に子供を作っています。また、ここで「世界の歴史」を執筆しています。

ロンドン塔には通常6羽のカラスが飼育されています。この塔ができたころからカラスはいましたが、初めは台所から出たゴミを食べていました。17世紀チャールズ2世の時代、ここには天体観測所があり、カラスが邪魔なので追おうとしましたが、「ロンドン塔からカラスがいなくなればロンドン塔は倒れ、王国も没落する」と言われ、それから大切に保護されています。

ヨーメンウォーダーの中にカラス係がいて世話をしています。夜は檻に入れられ、飛べないように羽を切られます。カラスのえさは、卵、生肉、ビスケット、ウサギの頭、そしてフルーツです。ロンドン塔で一番待遇がいい囚人といわれています。  大きな金庫の中に王冠や即位の宝器類、金銀食器類などが展示されています。

昔、即位の宝器はウエストミンスター寺院に収められていました。1649年のチャールズ1世の処刑の後、議会は即位の宝器をロンドン塔に移すように命じ、貴金属は貨幣鋳造のために溶かされ、宝石は売却されました。

 ・聖エドワード王冠

1661年のチャールズ2世の戴冠式用に作り直されました。聖エドワード王冠は戴冠式のためだけに使われます。何十年に1回、それも戴冠式のクライマックスにほんの10分間被るだけなので、宝石は式の前に宝石商から借り、式典の後に返却するそうです。純金で重さは2.3kgもあります。

・王しゃく

世界一大きなカット・ダイヤモンド530カラットの「アフリカの星」がついています。原石は3106カラットのカリナン・ダイヤモンドで、1905年に南アフリカで発見されました。

・帝国王冠

正面にはカリナン・ダイヤモンドからカットされた317カラットの「第2のアフリカの星」、その上には1367年に黒太子に贈られたバラスルビー、一番上にはエドワード懺悔王の指輪からとったといわれるサファイヤ、そして2800個のダイヤと王粒の真珠で作られています。現在毎年秋に行われる国会開会式のときにエリザベス女王が冠ります。

・クイーン・マザーの王冠

正面に106カラットのコヒヌ−ル・ダイヤモンドがついています。このダイヤモンドはインドで発見され、ムガール帝国皇帝の持ち物でした。男性が身につけると不幸になり、女性が身につけると幸福になるという伝説があります。

・ヴィクトリア女王の小冠

ヴィクトリア女王は小柄であったため、帝国王冠が大きすぎて好きではなく、ネックレスのダイヤモンドを利用して林檎サイズの小さな王冠を作らせ、好んで使用していました。

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