ソルズベリーはイングランドでは珍しく計画的に造られた町です。エーボン、ナダ-、ボーン、ワイリーという4つの川の交差点にあります。

昔は現在の町から北に3kmのオールド・セーラムが町の中心で、ローマ時代には砦として栄えていました。1092年に聖オズモンドが教会を造りましたが、完成五日目に落雷にあい壊れてしまいました。その後ロジャー司教がもっと大きな教会を造りましたが、丘の上は寒くて風が強く水も少なかったので、1220年にポール司教がエーボン川の近くの現在の位置に大聖堂を建設することにしました。街の中心は現在の場所になり、昔のオールド・セーラムは廃墟になりました。

教会は1220年から1258年にかけて建てられました。見所は高さ122mの尖塔で、1320年に加えられ、英国では一番高い塔です。教会内、西側にある時計仕掛は1386年に造られ、現在も動いています。

チャプターハウスにはマグナカルタの現存する4通のオリジナルのうちの1通があります。マグナカルタは、日本語で大憲章と訳され、アメリカ独立宣言の時に文章の一部が使われたことにより、合衆国憲法のもとになっているといわれていますが、実は国王、貴族、教会、人民がそれぞれ勝手な要求し事項を並べ立てた、統一のない文章なのです。 13世紀のジョン王は、即位後まもなく生じたフランスとの戦争で彼の父の時代に持っていた広大なフランス内の英国領をほとんど失ったことから失地王というニックネームがついています。戦争のために課税を強化したので、ロビンフッドという伝説上の人物を生み出すほど国内は荒れました。その上ローマ法王と対立し破門されたりします。ジョン王に対する貴族たちの不満はつのり、1215年貴族たちは要求事項を書いた49の条項をまとめてジョン王につきつけました。ジョン王はこれを拒否し、貴族たちに追われて西に逃げましたが、結局6月15日ウインザーの南のラニミードで捕まり、しぶしぶ条文を承認しました。昔の王様は字が書けず、サインができなかったので大きなぎょくじを承認の印につけました。 国王にも一方的に不利ではなかったマグナカルタは、貴族にとっても一方的に有利なものではなく、結局調印後2ヶ月で破棄されてしまいました。マグナカルタのオリジナルは37枚、現在残っているものは大英図書館に2枚、リンカーン大聖堂に1枚、ソルズベリー大聖堂に1枚の計4枚です