カンバランド、ランカシャー、ウエスト・モーランドにまたがるイングランド最大の国立公園で、その名の通り大小取り混ぜて120もの湖があります。多くはバイキング時代の北欧語に由来する名前がついており、ウインダミアのミアは湖という意味です。氷河の侵食によって現在の谷が形成されました。スカフェル・パイクという高さ1070mのイングランド最高峰の山があります。湖水地方の土地の4分の1はナショナル・トラストが所有しており、年間1300万人の観光客が訪れます。

ウインダミア湖はイングランド最大の湖で、長さ17km、幅が1.6kmの縦長の湖です。最も深いところで63mあります。ボウネスには観光船や渡し舟乗り場があります。

ピーターラビットは1893年にビアトリクス・ポターが昔の家庭教師の息子で当時5歳のノエルくんに描き送った絵手紙に初めて登場しました。1902年に出版され、その印税でニア・ソーリーにあるヒル・トップという家を買いました。この家では、彼女の21冊の絵本に登場した場所や物をいたるところに見つけることができます。すべてのものは彼女が生きた時代のままにしてあります。彼女はこの家を愛し、47歳で結婚した時も、この家に手を加えることを許しませんでしたし、亡くなる時も何一つ変えないようにと遺言しています。現在ヒル・トップはナショナル・トラストによって管理されています。(要予約:015394-36269)

ダウ・コテッジは詩人のワーズワースが創作活動盛んだった頃に住んだ家で、1799年から8年間を過ごしています。ワーズワースが住んでいたときのままになっており、狭く質素な家ですが、当時の生活がしのばれます。1階は妹ドロシーの寝室と台所、洗濯部屋があり、2階はワーズワースの寝室と応接間と子供部屋があります。

ケンダルは昔から毛織物と靴の生産で知られた町で、起伏の多いメイン・ストリートには素朴な石を積み重ねたこの地方特有の家が見られます。この町の名物には、ケンダル・ミント・ケーキがあります。ケーキといっても板状の砂糖の塊のようなお菓子で、1953年にヒラリーがエベレスト初登頂に成功した際にこのミント・ケーキを持参して、頂上で食べたそうです。

 

ナショナル・トラストは湖水地方で始まりました。

18世紀に産業革命が始まると、国の基盤が農業から工業へ、田舎から都市へ移りました。農村から都市へ人口が流出すると、農村は荒廃し、都市はスラム化します。進歩の象徴である鉄道網は十数年で8000キロにも達し、自足していた地方の生活は崩れていきました。

 トラストの構想を思いついたのは、ロバート・ハンターという人物で、公務員だった経験から国のやり方を知っており、議会に働きかける環境保存運動に限界を感じ、所有者優位の法のもとで土地を守るには、土地を獲得する力が必要だという結論を出しました。

オクタビア・ヒル女史は社会改良運動のパイオニアでした。「ナショナル・トラスト」の名付け親で、国民のためのナショナル、慈善性を強調するためにトラストという言葉を選びました。

キャノン・ローンズリーは牧師で、説教や献金集めはお手のものでした。トラストのために、国中を飛びまわってPR活動をし、トラストの資金調達係として情熱的に働きつづけました。

1894年発足。1930年代相続税を払えないため地方の広大な敷地にある屋敷を手放す人が増えましたが、トラストは全部を買う財力は無かったし、寄付されたところで維持できませんでした。そこでトラストは議会に働きかけ、維持費を生み出す農地も寄贈してもらうことができるようにして、1930年には相続税を非課税にすることに成功しました。

1950年代、車の普及と同時に海岸またはリゾート地として、海岸線の開発が始まりました。海辺の土地はいつでも工場用敷地として狙われやすく、トラストは海岸線を永遠に自然のまま保存する必要を感じ、1965年から募金を始めました。目標はイギリスに残っている未開発の海岸線900マイルをトラストで獲得し、保存しようというもの。実現すれば、イギリスの全海岸線3000マイルの約3分の1を所有することになります。現在506マイルは購入や寄付により獲得に成功しています。残りの400マイルについては将来売りに出た時点で可能な限り買うことにしています。

 

現在ナショナル・トラストは

・所有資産総面積は2287平方km(東京都より広い)

・価値のある建物や庭園を300個所所有し一般には有料で公開、会員には無料

・会員数200万人(全人口の30分の1)会費は年間約40ポンド

ちなみに、日本にもナショナル・トラストがあります。1964年、鎌倉八幡宮の裏山の宅地造成計画に反対した市民が募金により1.5ヘクタールを買い取ったのが始まりで、知床や沖縄のヤンバル森林保護運動まで、数十例があります。しかし、市民が資金を集められるだけ集めて、後は市に買取を要請するなど、地方公共団体に支援されながら進めています。日本はあまりにも開発のスピードが速すぎることと、地価が高くて買い取り不可能であることなど、苦戦しています。