ケンジントン宮殿は、1997年に亡くなったダイアナ妃のお住まいとして、また、大英帝国の女王ヴィクトリアの生まれた場所として有名ですが、実際に王様が住む宮殿として使われていたのは、1689年から1761年の70年間だけでした。

1688年カトリックのジェームズ2世を無血革命でフランスに追い払い、ジェームズ2世の長女メアリと結婚していたオランダ人オレンジ公ウイリアムが、メアリとともにイングランド王に迎えられ、前例を見ない共同君臨が実現しました。喘息持ちのウイリアムはホワイトホール宮殿を嫌い、郊外にあったノッティンガム伯爵の私邸を買い取り、クリストファーレンが設計、ニコラスホークスモアが工事監督で宮殿を改築しました。

ウイリアムとメアリの間には子供は無く,妹のアンはデンマークの王子との間に14人もの子供を産みながらひとりも育たなかったので、親戚のハノーバー公ジョージが王位を継ぐことになります。ジョージ1世はドイツを本拠地としており、あまり英国に来なかったので、英国史では非常に影が薄い人ですが、ケンジントン宮殿ではウイリアム・ケントがジョージ1世のために作った部屋が数多く見られます。1760年にジョージ3世がバッキンガム宮殿に移り王宮としての歴史は閉じますが、王族によって宮殿は使われ、ジョージ3世の息子のケント公にも宮殿の部屋が与えられました。ケント公は外国に住んでいましたが、後継ぎをつくるために英国に戻ってきます。1819年5月24日、ケンジントン宮殿でヴィクトリアが生まれます。半年後にケント公が亡くなりますが、ヴィクトリアは母と家庭教師によってケンジントン宮殿で育てられます。叔父にあたるジョージ4世、ウイリアム4世に子供がいなかったので、1837年6月20日ヴィクトリアは、女王になり、バッキンガムに移ります。ダイアナ妃は1981年から1997年まで、ここに住んでいました。

グランドフロアには1920年代の宮廷や控え室、洋裁師の作業場が展示されています。階段を降りると、ダイアナ妃の服のコレクションがあります。ダイアナ妃が公式訪問などに着た服が展示されています。階段を上がり上の階に行くと、王の謁見室、応接室と続きます。ヴィクトリアの寝室は、1837年ウイリアム4世の死により女王になったと聞かされた部屋です。元は王の寝室として造られたものですが、ケント夫人とヴィクトリアのために改装され、19世紀の特徴がある壁紙やカーテンを使っています。実際にヴィクトリアが使っていたベッドが展示されています。そのあと、王の画廊,女王の応接室、寝室、書斎、画廊と続きます。メアリ2世は陶器のコレクターでしたが、メアリの死後ウイリアムが他の貴族にあげてしまいほとんど残っていません。

オレンジのための温室として使われていたオランジュリーは、現在レストランになっています。