作曲家のヘンデルが1723年から1759年に亡くなるまで住んでいた家が、博物館として公開されています。

「水上の音楽」「花火の音楽」「メサヤ」などを作曲したジョージ・フレドリック・ヘンデルは、1685年2月23日にドイツのハレで生まれました。ヘンデルはドイツ北部のハノーバー選帝侯の宮廷楽長の地位にあったにもかかわらず、1712年の秋からイギリスに滞在し、ロンドンで活動をしていました。当時のアン女王に気に入られ、国の祝祭行事のための音楽の作曲を依頼されたりして、居心地がよかったため、ハノーバーにずっと帰っていませんでした。ところが、1714年、イギリス国王であったアン女王が突然なくなり、ハノーバー選帝侯のゲオルク・ルードヴィッヒが、ジョージ1世として英国国王になり、ハノーバー宮廷の側近たちとともに、イギリスの地を踏んだのでした。

ハノーバーの宮廷楽長の職務を2年近くもほったらかしにしていたヘンデルは心穏やかではありませんでした。何とか関係を修復する手立てはないかと考え、1715年、ジョージ1世がテームズ川で舟遊びをしたおり、大勢の演奏家を乗せた船を国王の船のそばに近づけて、「水上の音楽」を演奏しました。このことがヘンデルの名を高め、また国王と和解できたきっかけと言われています。

 現在、ヘンデル・ハウスでは、ヘンデルが作曲に使っていたハープシコード、彼が亡くなった時にも使っていたベッドなどが見られます。