16世紀初め、トーマス・ウルジーという人がいました。肉屋の息子だったのですが、勉強して、リンカーン司教、ヨーク大司教、大法官と出世しました。当時は地位が無い人が出世するには、聖職者になるしかなかったのです。とにかくウルジーはヘンリー8世に気に入られ、異例の出世をします。彼はテームズ川のほとりに自分の地位にふさわしい家を造ることにしました。1514年に土地を買い、翌年から建て始め、2年後に完成しました。8エーカーの土地に、1100の部屋があり、280のベッドルームはフランス製の家具とイタリア製のタペストリーで飾られており、いつでも使えるようになっていました。初めのゲストはヘンリー8世と最初の妻キャサリンでした。初めは仲が良かったこの夫婦も、男の子が生まれなかったのが原因で、後に離婚することになります。枢機卿だったウルジーはローマ法王にふたりの離婚を申請しますが失敗し、1525年失脚したウルジーはハンプトンコートをヘンリー8世にプレゼントします。それでもヘンリーの怒りがおさまらず、ウルジーは裁判にかけられることになりますが、1529年ロンドンに行く途中に病気で亡くなってしまいます。

その後ヘンリーはロイヤル・チャペルなどを改築しました。クロック・コートにある天文時計はこの時に作られたものです。1533年2番目の妻アンと結婚。ハネムーンにハンプトンコートを訪れています。その時できたアン・ブ-リンの門ではアンのAとヘンリーのHの頭文字を組み合わせたボスが見えます。3番目の妻ジェ-ンは1536年にここで王子を産みますが、本人は亡くなってしまいます。1541年、5番目の妻キャサリンは不義の罪でここで捕らえられ、捕まる時に泣き叫んだチャペル前の廊下は、今でも彼女の幽霊が出るそうです。その2年後、ヘンリーは最後の妻キャサリン(同じ名前)とここで結婚の儀を挙げています。

 チューダー・キッチンでは、16世紀の宮廷の食事事情が分かるようになっています。ヘンリー8世の時代は、肉が主食で食品全体の75%を占め、王室が1年間に消費する肉の量は最低でも牛2000頭、羊8200頭、鹿2330頭、豚1870頭、猪53頭にのぼりました。また、ヘンリー8世の宮廷では、1年間にビールとワインをそれぞれ300樽ずつ消費したといわれています。

 名誉革命の後、王位に着いたウイリアム3世とメアリ2世は、英国史上初の共同統治を開始。ロンドンは空気が汚いと言ってハンプトンコートに長く滞在しました。有名な建築家のクリストファー・レンに依頼して、ヘンリー8世のアパートメントの跡地に、キングス・アパートメントとクイーンズ・アパートメントを建てましたが、時間も予算も不足し、完成しませんでした。(クイーンズ・アパートメントは1727年ジョージ2世が即位した後にようやく完成します)。1704年ウイリアムはブッシ-パークで乗馬中、モグラの穴に馬がつまずいたのが原因で落馬して亡くなりました。キングス・アパートメントから見えるプライベート・ガーデンはウイリアムのために1702年に造られた庭園をそのまま復元してあります。1768年に植えた世界最古の葡萄の木(グレート・ヴァイン)もお見逃しなく。

 1760年に即位したジョージ3世は、ハンプトンコートにほとんど関心を持ちませんでした。王が滞在しなくなると、宮殿の家具調度品は運び出され、1838年、ヴィクトリア女王時代によって、一般に公開されるようになり、今日に至っています。