チェスターはラテン語で陣営という意味です。ローマ人が北方侵略に備えて、またウエールズからの侵入を防ぐように要塞を造ったことから始まりました。ここにはローマ軍団の中でも最強を誇った第20軍団本部が置かれていました。ローマの崩壊とともにローマ人が本国に帰りましたが、10世紀には今度はバイキングの攻勢に悩まされ、アルフレッド大王の娘、エセルフリーダが城壁を延長して現在の全長3.2kmの長さとなりました。現在の城壁は12世紀後半から13世紀初めに造られた中世のもので、壁の上を歩いて町を一周することができます。

中世には英国北部の重要な貿易港で、商人たちはローソク、塩(昔は賃金の一部を塩で払い、塩が「サラリー」の語源になったほど貴重なものでした)、チーズ等を輸出し栄えましたが、16世紀にリバプールにその繁栄を奪われてしまいました。

チェスター大聖堂の歴史は西暦958年から始まります。16世紀の宗教改革の時に、ヘンリー8世により英国の多くの大聖堂や修道院が破壊されましたが、チェスターは皇太子を冠する(チェスター伯)町だったので、取り壊されずに済みました。パイプオルガンは、ヘンデルがメサイヤ演奏のためにアイルランドに行く途中、悪天候で船を1週間待つことになった時に練習したという話しが残されています。内装や窓のほとんどが、1868年から1876年にかけてギルバート・スコットが大幅に手を加えたものです。

イーストゲートとウォーターゲート、ノースゲートとブリッジゲートの4つの門を結んで十字に交差しているところには市制の中心だったクロスがあり、毎日正午にはタウン・クライヤーがニュースを伝えに来ます。ザ・ロウズは16世紀から18世紀に建てられたもので、店舗の上にテラスのようになっていて、欄干側がストールとして使われたり、そこから下の通りを眺めたりすることができます。

チェスターの町の建物の95%は実はヴィクトリア時代の建物です。しかし、白黒の木骨作りの建物の生み出す雰囲気が中世の町を思わせます。