カンタベリーは「ケント人の町」という意味です。ケントはイングランドの南東部、ヨーロッパ大陸から一番近い地域で、ヨーロッパへの玄関口でした。ローマ人、サクソン人、ノルマン人などの侵略者もケントを通ってきました。ケントには肥沃な土地と、穏やかな気候、規則的な降雨があり、果実栽培に適していましたので、ローマ人により林檎や葡萄、ノルマン人により梨、中世にはビールの醸造に欠かせないホップなどが伝わりました。

 古代からスタウア川の両岸には人が定住していましたが、西暦43年、ローマ人によりドゥヴァ-ナムと呼ばれる、城壁、集会所、裁判所、円形劇場、浴場などがある典型的なローマ人の町が作られました。

 597年聖オーガスチンがローマから布教のために来て、英国で最も古い教会である聖マーチン教会を建てます。その頃はイングランドは7つの国に分かれており、ケントはエセルバート王によって治められていました。バーサ王妃はフランス人で、すでにクリスチャンだったので、王も影響されて洗礼を受けます。

 その後、ノルマン人により、大聖堂が建てられ、カンタベリーは重要な宗教の中心地としての発展します。西暦1170年、カンタベリー大司教だったトーマス・ベケットが王の使者によって殺されると、ベケットは聖人になり、ベケットの祭壇はキリスト教国では最も参拝者の多い巡礼地になり、カンタベリー市に多大な富をもたらしました。当時の巡礼の様子はジェフリー・チョーサーの「カンタベリー物語」で知ることができます。

 1538年ヘンリー8世は、カンタベリーのすべての修道院を閉鎖し、聖人だったベケットは反逆罪となり、聖地だったベケットの祭壇も壊されます。カンタベリーへの巡礼はなくなり、市にとって重要な収入源が閉ざされました。幸いにも、同じ頃、フランドルから逃れてきたユグノーがカンタベリーに定住し始め、新しい技術と質の高い織物産業をもたらしました。

 現在は英国国教会の中心である大聖堂があり、城壁に囲まれた中世の面影が残る町は観光地でもあります