町の名前でもわかるように、ここには英語の風呂の語源になったローマ風呂があります。

英国には火山はありません。この温泉は1万5千年前、最後の氷河期終わり頃、ブリテン島がヨーロッパ大陸棚から分かれた頃、大量の雨が降り、その水が1万年後に地球の中心の燃えている部分に到達し、何かの圧力で再び地上に押し上げられてできたのだと言われています。現在も3箇所の湯元から46.5度の温水が毎日113万リットルも涌き出ていますが、日本と違って英国では大量に流れる温水をあまり利用していません。

温泉の効用には多くの見解がありますが、皮膚病、リューマチ、関節炎に効くとされています。カルシウム、亜鉛、マグネシウム、鉛、カリウム、リチウム、鉄分などの成分が含まれています。温泉の効用については早くから知られており、古代人は不思議な水として神聖化し、太陽神として崇めていました。紀元前5世紀ころ、ライ病を病んだブラダッドは宮殿を追われ、豚飼いをしていましたが、豚を追って温かい泥沼の中を突き進むと皮膚病がきれいに治りました。後に王になったブラダッドは温水の涌き出ている場所に宮殿を建てたといわれています。

西暦43年に来たローマ人たちはお風呂が大好きでしたから、英国侵略の直後、ここに温水が涌き出ているのを見て、即座に巨大な浴場を建てました。進軍道路のフォス・ウェーと、ロンドンからウエールズに向かう道路のちょうど交差点という地の利もあり、バースの町は栄えました。ローマ人はこの町をアクア・スリス(ケルト民族の神サルの水という意味)と呼び、知恵と戦いの女神であるミネルバも奉りました。ローマ人は浴場で身体を洗い、オイルをつけ、砂で磨き、汗を流し、マッサージをして湯につかりました。社交場、ビジネスの場でもありました。現在パンプルームの地下では、当時の面影を残す女神ミネルバの青銅製の頭部、蛇の頭部を持ったゴーガンの壁彫、ローマ時代のコインや盃などが発掘・展示されています。

西暦410年、ローマ帝国の滅亡とともにローマの支配は終わり、次に来たサクソン人たちは風呂に入る習慣がなかったので、バースは次第に朽ち果て泥や土で覆われ忘れ去られてしまいました。

17世紀初め、ジェームス1世の妃アンがここを訪れてから、徐々に人気を集め、18世紀初めのアン女王の頃にはファッショナブルな保養地として有名になりました。1720年ごろロンドンから来たリチャード・ナッシュはバースの町の道路を整備し、街燈をつけ、各種の規制をもうけて市を管理し、ロンドンからオーケストラを呼び寄せたり、豪華な建物を建てさせたりしました。今でもバースの町にはその頃のジョージアン様式建築の建物が多く見られます。19世紀にはバースは高級リゾートとして注目され、ヴィクトリア女王、ネルソン提督、作家のディキンズなども訪れました。

パンプルームの壁にはWater is best(水は最高)とギリシア語で書いてあります。