ハイドパークコーナーにあるアプスレ−ハウスは、1815年6月15日ワーテルローの戦いでナポレオンを破った将軍として知られているウェリントン公爵のロンドン邸で、「ロンドン1番地」として知られた家です。

ウェリントン公爵アーサーは、1769年アイルランドのウェルズリー家の四男としてダブリンで生まれました。イートン校に進学しますが、成績は優秀ではなく、家族の都合もあり、ベルギーの法律学校に移りました。(この時に得た土地勘が、ワーテルロー会戦時に有利に働いたという説もあります)。インド総督になった兄と母親の薦めから、兵士となったウェリントンは、徐々に武将としての才能を発揮し、英国軍人として功績を残すまでになりました。ナポレオンの支配下にあったスペインからフランス軍を撤退させ、同時にポルトガルへの侵略を阻止することに成功しました。1815年6月ベルギーのワーテルローで、フランス軍に圧勝し、ヨーロッパ大陸のほぼ全土を支配していたナポレオンを流刑に追い込みました。

ウェリントンは英国だけでなく、全ヨーロッパをナポレオンの野望から救ったとして、民衆からは圧倒的な称賛を浴び、各国王室からは値段もつけられないような秘法の数々を送られます。対戦中、大陸を移動し続けたウェリントンは、貴重な贈り物をその場で確認する余裕がなかったため、帰国後荷を開けたときに、初めてその価値に気付いたということです。コレクションの中には、スペイン王家より贈られた、ベラスケス、ヴァン・ダイク、ルーベンスなどの絵画や、ナポレオンが離婚記念にジョセフィーヌに贈った(結局ジョセフィーヌには受け取りを拒否され、巡り巡ってルイ18世よりウェリントンに贈られた)エジプト模様のデザート・セット、そしてプロシア王・ウイルヘルム3世から贈られたベルリン磁器のセット(ウェリントンの功績を細かく描いた64品)などがあります。有名なナポレオン像(3.5m)はナポレオン自身が当時の一流彫刻家カノーヴァに依頼しましたが、気に入らなかったのでルーブル美術館内の倉庫に保管されていました。ワーテルローの戦いの直後に英国政府が買い取り、ジョージ4世からウェリントンへ寄贈されました。

ウェリントンは退役後、政界に進出し1828年から30年まで首相を務めるなど、トーリー党の大物として活躍します。1852年ケントのウォルマー城で83歳の長寿を全うし、セント・ポール寺院に埋葬されています。