ハリカナサスのマウソレウム霊廟

高貴な人たちを祭ったお墓のことを英語で Mausoleumといいますが、その語源となったのがこの霊廟です。驚くべき古代建造物ということで、フィロンが選んだ世界の七不思議の中にも入っていました。

紀元前350年がろに没したマウソロス墓として作られました。ハリカナサスは現在トルコの南西部にありますが、そのころはペルシアの支配下にあり、カリア地方の統治を任されていたのが、マウソロスでした。墓作りは生きているうちから始められましたが、彼のの死後、妻のアルテミシアによって完成しました。高さ50mの巨大な建物だったようです。建物はずいぶん昔に壊されてしまっていて、15世紀には十字軍の聖ヨハネ騎士団がマウソレウムの建築部材を再利用して防備を固めた際にだいぶ持ち去られてしまいました。19世紀にチャールズ・ニュートンによって発掘され、何点かが英国に持ち帰られました。

マウソレウムのピラミッド状の屋根の頂上は4頭の馬が戦車を引っ張っていました。紀元前4世紀にはチャリオットと呼ばれる戦車は戦争用には使われておらず、行進の際の儀式的な乗り物として、あるいは戦車競争に使われていました。青銅製のくつわは元の像についていたものです。ピラミッド状屋根の最下段には70頭のライオン像がありました。そしてイオニ式柱の間にはマウソロスとアルテミシアをはじめとする36体の像がありました。マウソロスと思われる像は髪が長く、おそらく剣を持っていたのではないかと思われます。高さ3mあり、立派で堂々としています。ハリカナサスは小アジアですけど、このころはギリシアの影響を強く受けていました。多分彫刻家をギリシアから招いたものと思われます。

マウソレウムには浮き彫りを施したフリーズもあり、そこには神話上の女戦士の部族アマゾネスとギリシア人の戦いが描かれています。フリーズは高い位置にありましたが、背景は青、人物は赤と金で彩色されていたので、明瞭に識別できたと思われます。

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