アッシリアのライオン狩り

メソポタミア文明は世界の4大文明の中でも最も古いもので、チグリス川とユーフラテス川を中心に栄えました。レリーフや彫刻に刻んである楔文字は紀元前4000年前からあったといわれる世界最古の文字です。アッシリアは今のイラクを中心に紀元前9世紀から7世紀にかけて栄えた国で、一番権力があった時には、イラン、北トルコ、シリア、レバノン、イスラエル、西エジプトも支配していました。

ライオン狩りの浮き彫りは、紀元前645年ごろアッシリアのニネヴェというところにあった、アシュールバニパル王の宮殿の壁だったものです。宮殿はジプシウムという現地で採れる比較的柔らかい石を使っており、壁全体に彩色してありました。アッシリアというのはチグリス川のほとりの小さな町アシュールから始まりますが、伝説では人民を困らせる悪いライオンを退治して、領土を広げていったといわれています。また、動物の王を殺すことで、すべての世界の王になるという意味もありました。しかしこの壁ができた紀元前7世紀半ば頃になると、野生のライオンは少なくなってきたので、わざわざライオンを生け捕りにして来させ、檻の中で飼って、何か催し物がある時に、王だけが殺せるようになっていました。ライオンは今のアフリカ・ライオンではなく、もっと小さいものでしたが、十分危険な動物でした。人間はみんな同じ顔をしていますが、ライオンの表情はすばらしいです。王様は常に他の人よりも大きく描かれており、王様の身につけているすばらしいアクセサリーにも注目してください。この腕輪、首輪、耳飾は金で作ってありました。宝石、皮製品などすばらしいものがありましたが、現在はほとんど残っていません。 

この宮殿を造ったアシュールバニパルは戦争より学問の方が好きで、図書館を造ったりしました。紀元前612年にアッシリアは滅び、宮殿はそのときに滅びてしまいます。そのことは旧約聖書にも書いてあります。

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