アステカのトルコ石のモザイク

大英博物館には、世界中にわずか7つしかないトルコ石の仮面のうち3つがあります。アステカの人々にとってトルコ石は金や銀よりも尊いものでした。
その青く輝く光りは神々を象徴するものと考えられていて、この尊い石で作られた仮面は神々の姿そのものと考えられていました。仮面以外にもトルコ石のモザイクを施した装飾品が作られましたが、それらはすべて神官が宗教儀式に用いたものと考えられています。

1492年のコロンブスの新大陸発見に刺激されたヨーロッパ諸国は、未知の世界をめざし、次々に大西洋へと乗り出していきました。コルテスは1485年にカスティリアで生まれ、1511年にディエゴ・ベラスケスのキューバ島征服隊に加わり、南米遠征隊長に任命されました。1518年、11隻の船と553人の兵士を率いてキューバを出港、1519年にメキシコ東海岸ベラクルスに上陸しました。

 アステカ族は自らをメキシカと呼び、メキシコ盆地一帯には150万人もの人が住んでいました。14世紀ころからテスココ湖上の小島にテノチティトランの都を建設し、そこに君臨していたのはモクテスマ帝でした。首都テノチティトランには371を数える属国からありとあらゆる産物が集まり、活発な商業活動が行われていました。これらの商品がすべて数と寸法によってきちんと測られて価格がつけられ、商売上の争いが起きた時のために裁判所まで設けられていました。規模でも清潔さでも当時のヨーロッパの都市を超えるほどの文明を備えていました。

しかしアステカ族にはメキシコ盆地の先住者トルテカ族の神王である肌の色が白く、髭の生えたケツァルコアトルという現人神が国土を要求するために東から帰ってくるという伝説があり、彼らの暦で1519年はまさにその年に当たっていたのでした。 モクテスマの使いはコルテスを歓迎し、頭に王冠と仮面をかぶせ、首には貴石と黄金で作られた襟飾りを巻き、左腕には楯を持たせました。が、この儀式はスペイン人たちに黄金への情熱をめざめさせてしまいました。

コルテスと仲間たちは首都テノチティトランに進撃しました。軍勢の数において勝てるはずのモクテスマは、ケツァルコアトル帰還の伝説に影響されてかスペイン人に抵抗せず、捕因の身になり、その後、殺されてしまいます。テノチティトランの都は徹底的に破壊され、その廃虚の上にまったく新しい町メキシコ・シティーが建設されました。かつての都にそびえていた大ピラミッドの上にはカトリックの大聖堂が建てられました。こうして、地球上最後の古代文明は消えていったのでした。
コルテスは都テノチティトランへ向けて出発する前に、モクテスマから贈られた宝物を報告書とともに、スペイン国王カルロス1世のもとに送っています。この時、莫大な金銀とともにトルコ石の仮面がスペイン国王に献上された可能性は高いのですが、当時のスペイン人にとって関心があったのは金や銀だけで、異教徒の崇拝する偶像などには興味を示しませんでした。黄金は溶かされ、貴石は台から外されました。いくつかのモザイクだけが素材そのものの価値が比較的低かったので残り、他の国々へ流出していったのでした。

ルネッサンスの中心地フィレンツェの支配者だったメディチ家は、当時のヨーロッパで最も金持であったと同時に、芸術家のパトロンとしても有名でした。スペインと違ってイタリアには自由な精神と旺盛な好奇心があり、彼らの好奇心は当時まだ発見されたばかりの新大陸の文明にも及んでいました。メディチ家の人々はキリスト教世界とはまったく異質な文明の世界に目を向けた最初のヨーロッパ人でした。「トラロックの仮面」と思われるトルコ石の仮面は、メディチ家の目録に記されています。1737年にメディチ家が滅亡した後、絵画、彫刻のコレクションはウフィツィ美術館に集められましたが、アステカのコレクションはがらくた同然に売り払われてしまいました。1870年にパリで開かれたオークションに、メディチ家が所蔵していたものではないかとされるトルコ石の仮面が現れ、大英博物館が落札しました。  また、「テスカトリポカの仮面」はスペイン王カルロス1世(神聖ローマ帝国ではカール5世)の支配下であったベルギーのブリージュにあったものを、1865年に大英博物館が入手しています。

 
トラロックの仮面  
雨の神トラロックを表したもので、モクテスマ帝からコルテスへの贈り物の中にあったと考えられている。顔面は目を縁取り鼻で交差して絡み合う2匹のヘビで構成されている。

 ケツァルコアトルの仮面
人類を創造し、食糧となるトウモロコシを与えてくれた知恵の神。平和を愛する神であり、野蛮な生け贄の儀式を行うことを人々に禁じている。テスカトリポカによって都から追放されてしまった。

 テスカトリポカの仮面
残忍な性格を持ち人間の奥底に沈むどす黒い欲望を象徴する神だった。本物の人間の骸骨の上に直接トルコ石のモザイクを貼り付けて作られており、この神の残忍な性格を物語っている。この神が都を支配するようになってから生け贄の儀式が盛んに行われるようになった。

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